「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか」詩篇121:1

これは都上りの歌であり、エルサレムへ巡礼の旅に出る時のものだ。「山に向かって目を上げる」は、これから上って行くべき、困難な険しい山々だ。非常に切実だ「私の助けはどこから来るのか」。エルサレムは遙か彼方であり、幾つもの山々が行く手を固く阻んでいるかに見える。

 

当時の旅は、今と全く違い、命がけだ。途中で病気になれば命にかかわる。又、どんな災いや危険があるや知れず、無事に帰れるかどうかもわからない。そんな中で何が助けになるのか。「私の助けはどこから?」との問いとなり「私の助けは、天地を造られた主から来る」と答えが来る。

 

ある人が大事な試験の時に、カンニングをしてしまった。大きな罪責感となり、歩みに影を落とした。誰にも言えず、怖くて苦しくてたまらなかった。悩み苦しみの末、その事をありのまま主のもとに、祈りに持って行った。「私の助けはどこから来るのだろうか」自分の心にピタリと重なった。「私の助けは天地を造られた主から来る」、主の御声だった。しっかり受け止めて下さった、主の愛をひしひしと感じた。

 

御前に心から悔い改めた。苦しみが消えて、安堵と平安で満たされた。主に導かれるまま対処して行けた。今、何かの問題で悩んでいるだろうか。その問題は目の前に立ちふさがる山のようだろうか。しかしその助けは、天地を造られた主から来る! ありのままで主のもとへ行き、主に告げよう。解決へと導いて下さる。

 

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苦難の中で助けを求める者や、罪を悔い改める者を主は決して見捨てられない。これこそが私たちの力の源だ。罪を赦し最後まで守っていて下さる。力を受け、新たな一歩をまた踏み出せる。