「・・あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます」マタイ11:29

くびきとは、平たい板に二つ穴を開けて、二頭の家畜の頭部をその穴に入れて、同方向へ進ませるためのものだ。家畜があちこち別の方向へ向かず、同じ方向へ進むので、御する事ができて農作業に便利だ。「負いやすく」は「身体にフィットして快適、心地良いこと」だ。くびきはその穴にしっかり首を入れると、快適で心地良いが、それを拒否し、抵抗すると、穴に首が締め付けられる。自分で首を絞める事になる。

 

自分の思い通りに行こうとするなら、そのくびきは自らを締め付け、苦しく、つらいものとなる。自分を阻むものでしかない。今、与えられているくびきは、あなたにとって、どちらだろう。意に沿わないとしても、与えられたくびきをしっかり受け入れる時、そのくびきはむしろ平安と、それによって主を知る喜びをもたらしてくれると。

 

しかし受け入れようとしない時、それは苦しいばかりだ。何の喜びも無く、ただつらくて痛いだけだ。どうしても受け入れ難いものなら祈ろう。主が助けて、受け入れられるにようにして下さる。あなたにとっての、くびきは何だろう。今の境遇か、役割か、部署か、又、対人関係だろうか。

 

嫌で受け入れられないなら、平安が無く、悶々状態で苦しいばかりだ。心を砕いて、受け入れて行く時、全く同じ状況の中で、心は自由にされ、そして多くの学びが与えられる。成長へと導かれる。難しければ、くびきを負えるよう、求めて祈ろう。

 

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「わたしのくびき」は主のくびきだ。「わたしから学び」、主が沢山の霊的学びを与えて下さり、状況に関係なく平安にされる。だが、くびきを受け入れる事が難しく、受け入れられない。祈ろう。不可能が一つも無い主が、みわざをして下さる。求めに答えて下さる。