「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」マルコ1:35

主は誰もいない、寂しい所へ出向き、よく祈られた。一人きりで、世の喧噪から離れて、主に向くことはとても大切だ。又、独りきりで主と対峙するために、ある時、主が私たちに「孤独」を送られる。時に孤独を感じる事があるだろうか。親しい人々から離れた環境で、又、大勢の人々の中でも、感じることがある。

 

しかし時に孤独は良いものだ。心が主に向くからだ。主は、私たちの注意を、主に向けたいと願っておられる。孤独は特別なプレゼントだ。この世の騒がしさから離れ、寂しさの中で、初めて真に心が主に向く。様々な関心から離れ、主のみに向けられる。幸いな交わりを経験する。ある時には、人に裏切られ孤独だろうか。親しい人が去って孤独かも知れない。

 

主も、ゲッセマネでは孤独の中で祈られた。そして罪となられたがゆえに、十字架上で御父に捨てられた。又、弟子たちは、肝心な所で我先にと逃げ去った。孤独を知る理解者だ。主を捨てた弟子たちへの言葉が「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」だ。主は決して見捨てられない。世の喧噪から離れ、人の交流からもしばし離れ、主にだけ心を向ける事は有益だ。主との幸いな交わりに入るために。

 

いっときの孤独が私たちを主のもとへ追いやってくれる。そうでなければ、目に見える人や物で満足してしまって、主のもとへ行かない。孤独が来た時には、私たちは世の価値観とは違い、主からの特別のプレゼントと受け取ろう。そして、主と交わり、主で満たして頂こう。

 

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たった一人になり神と交わる時は大切だ。主でさえそうされた。ましてや世の刺激に弱い私たちにはどれ程大切な時間だろう。忙しい日も、神との交流で心を満たす時を確保しよう。