「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」詩篇139:24

ある人が、まとまった当座の費用が必要になり、すぐ返せると、深く考えずに、軽い気持ちで金融機関から借金をした。ところが大変な利息に、又、諸事情も重なり、それが返済できず、おおごとになってしまった。とうとう自分ではどうにも出来なくなり、誰にも恥ずかしくて言えなかったが、牧師に告白し、軽はずみであった事を悔い改め、一緒に祈ってもらった。

 

主は祈りに答え、奇跡的に必要を与えて下さり、無事に完済できた。その事を通して、様々教えられた。すぐに金融機関から借金をせずに、まず祈るべきであったこと。主は必ず必要を与え、又、ふさわしい導きを与えて下さったであろうこと。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる」との事を、頭ではよく知っていたが、自分は全く信じていないことを知らされた。

 

主が成し遂げて下さることを、信じる事が出来ないから、自分が動き、自分の判断、自分の思いで行動したこと。主を信頼しきれていなかったこと、不信仰な自分の現実の姿が見せられた。非常に手痛い失敗であったが、感謝であった。

 

この取り扱いを通して、主のあわれみのみわざを経験して、どんな状況であれ、祈るなら、主に頼るなら、主は何とかして下さると、信じることができるようにされた。大きな一歩前進であった。主は、私たちの内側を照らし、成長へと、手を取って導いて下さる。

 

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信仰人生に起きる様々な出来事を通して、主は、私たちの内側を見せて下さる。弱さや足らなさ知る。それを認め、そのまま祈りに持って行く時、高ぶりの山は削り、不足の谷は埋め、成長へと導いて下さる。主のかたちへと変えて行って下さる。