「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」コロサイ3:13

ある人が、職場でどうしても受け入れられない、難しい相手がいた。何かと言葉にトゲがあり、傷ついた。出来るだけ避けて、接触したくなかった。仕事上のイライラがあるとぶつけて来た。嫌な、嫌いな相手だった。争いも、問題も起こしたくないので、我慢していた。

 

その相手が、家の事情で突然の転職となり、状況的にはもう二度と会う事は無くなった。正直なところ解放感に安堵した。ところがしばらくして気づかされた。その場にいないし、もう会う事も無いのに、自分の心が縛られている事に。傷つけられた事の恨みと憎しみが、心の奥にあり、消えないのだ。

 

ふっと思いに来ては、心が重苦しく沈んだ。目の前にいないのに、心はがんじがらめだった。平安が無く、余りに苦しいので、主の御前に行き、心を打ち明けて祈った。祈る中で、示されたのが、恨みと赦せない心だった。しっかりと握って放さない自分の罪だった。それが平安を奪っていた。

 

主の御前に悔い改めた。大嫌いな相手だったが、不思議だが赦すことができた。自分では全く無い、御霊の力だった。平安が戻った。今度は真の解放感と安堵が心に広がった。赦せない心ほど、苦しいものは無い。つらい。主が、そこから救い出し、平安へと導いて下さる。まずありのまま主のもとに行き、心を打ち明けよう。必ず導いて下さり、みわざにあずかる

 

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恨みや赦せない思いは、心に重い鉛を抱えているようだ。思いに浮かんでは苦しく、がんじがらめだ。そしてサタンに足場を与えてしまう。怒りや憎しみとなる。ありのまま主のもとに携えよう。主が取り扱って下さり、平安へと導いて下さる。