「あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは・・申命記8:18

イスラエルは神の選びの民とされた。それは、彼らを通して諸国民が救われるようにという事であった。出エジプトを果たし、水や食物の無い荒野で奇跡をもって守られた。そして約束通り、乳と蜜の流れる地カナンに導き入れられた。

 

ところがその良い地で、生活が豊かになると「この私の力、私の手の力が」、この富を築き上げたのだと高ぶった。主は、何度も警告された。「主が」あなたに富を築き上げる力を与えられたのだと。その事を決して忘れるなと。人は、何不自由無い順風の日には、神を忘れる。自分で物事を進められて行くので、自分の力で生きて行けると錯覚し、恵みを忘れ、高慢になる。

 

「苦しい時の神頼み、楽しい時の神離れ」と言われるが、何もかもが当り前となり、感謝が無くなる。こんな時、主は愛ゆえに試練を送られる。懲らしめは愛だ。民もバビロン捕囚という厳しい試練に会った。砕きであった。エルサレムがバビロンによって滅ぼされ、国土を失い家を失った。異国への捕囚の身となり、苦難を受けた。

 

時を経て、次世代になった頃、人々は暮らしは成り立っているが、信仰心は失せ、何を拠り所に生きて行けば良いのか、心は空虚だった。そんな時に、諦めていた祖国帰還のメッセージが語られた。労苦は終わり、慰めの時が来たと。

 

私たちも状況がどんなに悲惨でも、主は決して捨てられない。必ず夜の後に朝は来る。何よりもいつも主を心に据えて、主が、今の祝福の与え主であることを心に刻んでいよう。感謝を忘れないでいよう。

 

------------

無くして初めて無力だと知るのではなく、順境の時こそ与え主である主に感謝の祈りを献げよう。すぐに自分の力で歩んでいると錯覚してしまう。有限の者だとわきまえていたい。