「王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった」マタイ22:3

主は、天の御国をたとえで話された。王は、王子のために結婚披露宴を設けた。結婚式は人生最大の喜びと祝福の場だ。招待客を呼びにしもべを遣わすが、彼らは来なかった。気にもとめず、畑に商売にと出て行き、招待を拒否した。それらは、式の後でも出来たであろうに。そして王のしもべたちを殺してしまった。

 

神の愛を足げにし、恵みを踏みにじる。王は、しもべを送り、通りで出会った者を誰でも皆招いた。そのため披露宴には大勢が集まった。老人、若者、取税人、遊女、貧しい人、金持ち、ホームレス、体調悪い人も、誰でも彼でも、「良い人も悪い人でも」皆招かれた。ユニークな披露宴だったろう。王の招待はすべての人に差し出された。

 

礼服は入口で王により用意された。大通りで出会う人々だ、礼服など持っていない。ところが一人、その礼服を着ないで出席した。王の礼服を拒絶したという事だ。招待は拒まなかったが、礼服は拒んだ。違う目的で宴会に来ていた。王への不敬な心だった。王は神であり、礼服とは御子の十字架の贖いだ。十字架の主の血潮は、義の衣として、私たちに無代価で与えられる。

 

「良い人も悪い人も」この義の衣を着て、王の祝福と喜びの披露宴に出る事ができる。何かの功績により選ばれたのではない。全くの無功績だ。招かれるに値しない私たちに、義の衣が与えられる。礼服を着ない者のように、主の救いを拒むのでなく、礼服を着て、罪の赦しを受け取り、主の御前で救いを喜び味わい、光栄の宴会にあずかろう。

 

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主により招かれ、御国の宴席に連なる特権にあずかれた。何という恵みだろう。新しい天の御国に生きる者とされたことに感謝し、喜びを持って信仰の歩みを続けよう。