「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。神は予め知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿に予め定められた」ローマ8:28

ある人が、職場の第一線で、バリバリ活躍していた。断トツの成績だった。だが、重大なプロジェクトで様々な支障が起き、失敗してしまった。そこに難しい人間関係も絡み、ついに心身ダウンで、過労で入院となった。その時に、酷い落ち込みに陥った。失敗が受け入れられないのだ。

 

成果のあった時は、自分が価値ある者と思えていたが、大失敗をした今、自分の価値を認められない。非常な苦痛で受け入れ難い事であった。弁解や言い訳で、自分を取り繕おうとするが無駄だった。失敗を人のせいにする自分、人を赦せない自分に更に苦しんだ。悶々で、つらくて、ベッドの上で主に祈った。

 

主と交わっていると、徐々に心が落ち着いて来た。ずっと交わる中で自分の姿を見せられた。今までずっと必死に懸命に頑張りに頑張って、努力に努力を重ね生きて来た。それなりの成果も得た。しかし結果を出せない人々は、努力していないからだとしか思えなかった。高ぶって、ずっと人を裁いていた。

 

根にある裁きや見下した目が、対人関係に影響していた事に気づかされた。しかしこれまでの成果は周囲の助けや、チャンスに恵まれていた事、そしてすべては神から来ていた事に思いが至った。必死の努力をしても、どうにもならず失敗した事を経験し、へりくだらされ、自らの高ぶりを悔い改めに導かれた。

 

砕かれて、今までの自分は愛のかけらも無かった事を知った。人を見る目が変えられた。失敗して良かったと心から思えた。あのままなら、どんなに恐ろしい事になっていたか、主の取り扱いに心から感謝した。

 

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試練や失敗の中を通って更に自分を強化するより、砕かれながら主に似た者に成長したい。出ている所、足らない所を気づけたら、落ち込むけれど祝福だ。