「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」Ⅰペテロ5:8

主の御心を行なおうとする時、必ず祝福を奪いたい悪魔の妨害が来る。したくない思いが出て来る。「面倒くさい」「嫌だなあ」「何とか回避できないか」悪魔の囁きが来る。環境的にも妨げが入ったりする。例えば、祈るよう示され、祈ろうとすると、何か心が重くなる。祈る前はどうも無かったのに。

 

そして「今でなくていい。また後で祈ればよい」「今は疲れていて休みたい」との思いが来る。「どうせ答えられるはずがない、祈っても無駄だ」との思いが来て、祈る気力が失せる。電話がかかったり、チャイムが鳴ったりもする。悪魔に祈りが取られてしまう。

 

又、聖書を読もうとする時も、しかりだ。 他の思いが幾らでも湧き、思いがさまよう。ふと別の事を考えてしまい、うわの空で、何を読んだかわからない。読むのを諦めてしまう。読み出すと眠気に襲われる。御言葉の意味がわからず、すぐにやめてしまう。他の本なら幾らでも読めるのに、聖書が読めない。悪魔の妨害だ。又、今日のすべき事があるのに、突然、怒りや憎しみが思い出され、悶々の時間でつぶされてしまう。

 

あるいは思い煩いで、延々不毛な時間を浪費してしまう。悪魔の火矢を受け入れてしまっている。又、休息というのではなく、怠惰にずるずると時間を無駄にする。御心に歩ませないよう、御心を行うことを妨げて来る悪魔だ。悪魔をわきまえて、御心を行えるよう助けを求めて祈っていよう。祈りは悪魔が嫌がる、大きな力だ。

 

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サタンはうまく身を隠し神から遠ざけようとする。過去の苦い失敗から学ぼう。主が助けてくださる。目を覚まし、サタンを忘れず警戒していよう。