「サムエルは言った。『見よ。主がお選びになったこの人を。民のうちだれも、この人に並ぶ者はいない』民はみな、喜び叫んで、『王さま。ばんざい』と言った」Ⅰサムエル10:24

主が王であったイスラエルで、民は他国のように、自分たちも人間の王を求めた。周囲に敵の脅威もあり、戦いにおいても強いリーダーを欲した。しかし主はそれがどういう事かを告げ、警告された。王は支配し、息子や娘を取り、畑を搾取し、王の奴隷となると。だがどうしても民は王が欲しいと。

 

そこで主は、サウルを王として与えられた。王が選ばれたその時、サウルは荷物の間に隠れた。「私は部族のうちの最も小さいベニヤミン人・・つまらないもの、どうしてこのような事を言われるのか」とサウルは、自分は小さな者であるのに、王などと、大勢の民を見た時に尻込みした。

 

主は小さな者を用いられる。その人の力は問題ではない。主が霊を注ぎ、力を与えられるからだ。「主の霊があなたに激しく下ると、あなたも彼らと共に預言して。あなたは新しい人に変えられる」「手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられる」

 

御霊に心を支配される時、主の思いが自分の思いとなる。主の願いが自分の願いとされる。だから何かをする時、御心にかなったものとなる。残念ながらサウルは王になると高慢になってしまった。主は小さな者、無力な者に、主の霊と力を満たして用いて下さる。

 

主に頼り、従うなら、能力も知恵も与えて下さる。今、もし何かの示しが与えられているなら、その示しに従おう。主がお入り用であり、あなたを用いて、栄光を現して下さる。

 

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主の思いを自分の思いとして歩むとき、主は全てのことを助けてくださる。日々の生活は小さな選択の繰り返しだと覚えたい。尻込みをする自分から踏み出そう。