「彼女はまたみごもって、男の子を産み、「今度は主をほめたたえよう」と言った」創世記29:35

レアは、ずっと妹ラケルと比較、嫉妬に生きてきただろう。ヤコブとの結婚によって、ますます劣等感が強くなって行った。ヤコブの愛をどれだけ切望してもあがいても得られない。ヤコブの愛はラケルにある。そんなレアを主は憐れまれた。それでレアの胎を開かれた。「ルベン」と名づけ、主が悩みをご覧になったと言った。

 

ルベン誕生により、夫の心が自分に向き、愛してくれるだろうと思った。しかし、決してそうはならなかった。第二子のシメオン出産は「主は私が嫌われいるのを聞かれて」とレアが神に祈った結果だった。そして次々と産み、最後はユダ「主をほめたたえよう」と名づけた。長い時間と共に、目の前の苦しみでなく、主を見上げるようにレアは変えられて行った。

 

これまで自分の容姿等をラケルと比較して、劣等感にさいなまれ、また夫がラケルを愛し、自分には気持ちが無いことで悩み苦しみ抜いた。しかし主を見上げた時、変えられた。レアの女奴隷が男児を産んだ時は、アシュルと名づけ、レアは「なんと幸せなこと。女たちは、私を幸せ者と呼ぶでしょう」と言った。

 

私たちは何を学べるだろう。レアはずっと劣等感で生きて来て、又、夫は妹ラケルを愛していて、夫の愛をどんなにあがいても得られない境遇にいた。満たされない、つらい、寂しい状況だ。そんな中で、レアは神に向き、神の愛と憐れみに目を向けて行った。神は、レアの不幸な境遇により、ご自身に近づけられた。私たちも、悩み、問題を通して神の愛を知って行ける。

 

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レアは孤独で寂しく満たされない境遇にいた。しかし、その思いや気持ち、状況を主のもとへ持って行った時に、解決を得た。人でなく、境遇でなく、主ご自身で心が満たされた。方向が違うと決して心は満たされない。主に向かおう。