「祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい」マタイ5:23

ある人が、主に在る友と話していて、議論になってしまった。議論が高じて争いになり、言い合いになって行った。自分が正しいと主張して行き、相手への攻撃になってしまった。気まずい思いでその場は別れた。重い心で帰宅した。その日は奉仕の準備があったのだが、まず祈れない。平安が無い。

 

時間は過ぎるがどうにもならず、奉仕の準備など出来ない。とにかくあるがままを祈る事にした。祈れないこと、平安がないことを正直に、主に打ち明け祈った。すると心が照らし出された。やはり議論になると相手を打ち負かしたい思いでいっぱいになり、負けたくないと思うこと、勝ちたい。

 

自分は正しい、相手は間違っていると思っているので、きつい言葉が出てしまうこと、そこに愛もへりくだりも全く無く、高ぶっていたこと・・自分の姿が映し出された。悔い改めに導かれた。悔い改めた時に、重苦しく平安の無かった心が、変えられて、平安が満ちた。そしてどうしても相手に謝りたいと思い、すぐ電話をして詫びた。

 

実は相手も謝る事を示されていて、双方で主の御名を崇めた。平和が戻った。その後、その奉仕の準備は御霊に力強く導かれて、素晴らしい祝福の結実を見た。対人関係で平安が無いなら、祈ろう。そして和解が導かれているなら、仲直りをしよう。

 

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対人関係、心の内に怒りを隠したままでも外側は平然と付き合うことが出来る。しかし、主はそうではなく和解しなさいと言われる。主の前に正しく生きよう。まず相手のために祈ってみよう。