「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです」ローマ8:29

信仰人生において「何で? どうして?」という不意の出来事が起こる。突然のつらい、苦しい状況に、何がどうなっているのかわからない。ただただ苦しいばかりだ。だがエレミヤ29:11にあるように、決して災いは無い。目の前の苦しい事態は、平安と将来と希望のためのものだとある。必ず「平安」の地に着地する。

 

渦中ではわからないが、後になって、パズルがつながるように、神のご計画を知ることになる。「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」とあり、すべての出来事に、神の支配と主権がある。主が決められた通りに成っている。

 

「そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません」とあり、父の許しの中で起きている。そして、理解を越えた事態に遭遇するが、「神がすべてのことを働かせて益として下さる」その事に神が関与して下さる。しばしば、自分が思う最善が成ると勘違いするが、そうではなく、神が私たちのために思われる最善だ。

 

それは、自分の思いと大きく違うかも知れない。しかし自分にとってベストで良いことだ。その益は、自分がどんなにぐじゃぐじゃでも、「御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです」御子のかたちへと変えて下さる「益」だ。何と嬉しいことだろう。 

 

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御子の形に変えて行くためとご計画の目的は知らされている。問題を通して何を学べばいいのだろう。何を捨てて、何を受けるのだろう。主はもう一歩信仰へと進ませてくださる。