「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます」詩篇84:6

私たちは、様々な苦しみを経験する。つらい悲しみの涙の谷も通る。理不尽な事、理解不能な事に遭遇する。それはクリスチャンにもノンクリスチャンにも同じように起こる。しかし神を信じる人々は、どんなつらく悲しい事の中にも、神を認めて行く。

 

そしてそこに神がおられるので、神の愛、慈しみを体験して行く。 神を信じない人は、どんなに素晴らしい事があっても、そこに神を認める事は無いし、感謝も無い。ただの偶然だ。そこの違いだ。信仰者はどんな出来事が起きても、そこに神を認め、神の愛を認める。深い涙の谷を泉の湧く所とし、その中に神を見、神に出会って行く。

 

ある人は、成績がトップクラスで高校受験合格間違い無しだった。しかし驚いた事に不合格だった。初めて大きな挫折を経験した。第二志望へと進んだ。砕きは、泉の湧く所とされた。神に近づけられ、学校ではリーダーシップを発揮し、聖書の同好会を発足した。救われる同級生が起こされた。苦しみ、悲しみ、挫折、行き詰まり、もうだめだと思うそここそが、泉の湧く所とされる。

 

そこでこそ真に神に出会うからだ。その痛みの中で、主を仰ぐなら、いやし主である主を味わい知る。何も、どうにも出来ない、なすすべのない、弱さと無力の極みにある時こそが、実は主に近い。大きな祝福へと展開して行く。泉の湧く所とされる。

 

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私たちは涙の谷にこそ神の恵みが注がれることを知っている。闇の中にこそ主の真理の光を見る。そして慰めを受け、力を得てまた引き上げられていく。