「神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです」創世記45:5

私たちの信仰人生で、どのようなマイナスの事態が起ころうと、そこに神がわざをなされ、私たちのために益として下さる。それが、他者からの攻撃であったとしても、又、自分の過失、失敗により招いてしまった悩みや問題であっても、そこで神が働かれ、それらをも益と造り変えて下さる。

 

ヨセフの兄たちは、弟ヨセフに対し妬みを抱いていた。妬みは憎しみに増幅し、殺意となり、ヨセフを隊商に売り飛ばした。そこにあったのは明確な悪意であった。しかしヨセフは後に「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らい」とされたと言った。はっきりと悪を計ったと言っている。

 

しかし神がそこにわざをされ、益とされ、良い事とされたと。神は不思議をされ、不思議な方法で、悪さえ良い事とされる。であれば、人がどんなに悪意を持って事を計って来ようと、私たちに何も出来ない。時に私たちは困難を通ることがある。神を信じ、神に仕え、神の御心を行い生きていたとしても、問題が起こったり、様々な悩みが降りかかることがある。

 

だが、神が私たちの人生を完全に手中におさめておられる。神が、目の前のその問題を、あなたのために最善となるようにされる。信じていよう。ヨセフは、神が、兄たちの、親族の命を飢饉から救うために、先に私を遣わされたと言った。「兄たち」が計った悪事であったが、「神は」を主語に見つめ直している。今は難解なパズルのピースであっても必ず「神の栄光」へと埋められて行く。

 

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どんな人の罪や悪よりも強い御神の支配が後ろにある。渦中では何も見えなくなるが、ヨセフの生涯を通して、苦しみの中で神を仰ぐ信仰を学びたい。