「そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ」マタイ14:32

主は弟子たちを「強いて」舟に乗り込ませ、向こう岸に行かせられた。強制的だった。試練に会わせられた。彼らは、向かい風に漕ぎあぐねて、立ち往生し、どうにもならず悪戦苦闘していた。困難で前に進めずに、四苦八苦している状況だ。彼らは自分たちの力で懸命に戦っていた。私たちも問題に、どうしてよいかわからず、方策尽きて行き詰まる。

 

主は「ひとりで山にのぼられ」弟子たちのために祈っておられた。いつも私たちのために執りなしていて下さる。そして、パニックになっている「彼らのところへ行かれ」、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と御声をかけられた。私たちも恐れでいっぱいだ。波を恐れ、目の前の状況を恐れ、人を恐れ、将来の事を恐れ・・そんな私たちにも御声をかけて下さっている。

 

「恐れることはない」。なぜ、恐れるのだろう。それは、常に共にいて下さる、主を見失うからだ。一緒にいて下さるのにわからない。凄まじい目に見える状況に飲み込まれると、それしか見えない。状況だけだ。背後にサタンが働く。心騒がせ、不安ばかりが募り、おじ惑う。今、目の前の厳しい状況に、不安と恐れでいっぱいだろうか。思い煩いしかないだろうか。

 

主は「わたしがともにいる」と、「恐れるな」と言っておられる。主が舟に乗り込まれた途端、風が止んだ。状況でなく、主を見て、御言葉を心に受け取る時、心の嵐がおさまり、心に平安が臨む。

 

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突如の厳しい状況が臨むと、パニックになってしまう。主も、御言葉も飛んでしまい、思い煩いにおおわれ、心が重く暗くなる。しかし主は御声をかけていて下さる。今も「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と。御言葉を受け入れられるよう祈ろう。