「私のたましいを御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私を贖い出してくださいました」詩篇31:5

ある人が、職場で、理不尽な、不当な扱いを受けた。心が引き裂かれるように苦しかった。主に在る先輩が、励まそうと「つらかったね」と声をかけてくれた。その人は、「こんなにも祈った事は無かったです。自分は正しいのに、悔やしくて悔やしくて、祈っていると主の十字架が迫り来ました。

 

完全に正しいお方が、罪が無く十字架にかかる必要の無い方が、十字架で苦しまれた。命まで捨てられた事に、まるで初めてかのごとく目が開かれました。主の十字架の前に、言葉が無くなり、自分の姿を見せられました。主にすべてをお委ねしました。今、心は全く平安です。主の十字架の意味を以前より知れて、感謝しかありません」と答えた。

 

彼には正当な主張があり、権利があった事だろう。しかしその人は信仰に立っていた。自分で自分を守ろうとせず、すべてを正しく導き、裁き、成し遂げられる主に任せた。すると平安になってしまったと。ダビデも、サウル王から理不尽な扱いを受けた。サウルの激しい妬みにより、命をつけ狙われた。どこまでも追っ手をかけて追撃された。

 

ヨセフも、エジプトで主人から厚意を受けたが、その妻により濡れ衣を着せられ、全く身に覚えの無い無実の罪で投獄された。こんな理不尽は無い。しかしダビデもヨセフもそんな中で、相手を攻撃するので無く、御父に自らを委ねて行った。そして主はふさわしい時にふさわしい解決を与えられた。

 

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ダビデやヨセフのように解決の一切を主なる神に託そう。正しいと思うと厳しい態度を取りたくなってしまう。自分自身が神の戒めから迷い出てしまわないよう御手に委ねよう。