「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。『兄弟サウロ・・』」使徒9:17

当時キリスト者は、激しい迫害の中、エルサレムから方々に散り、国外にまで散った。しかしユダヤ人たちはクリスチャンを徹底的に、執拗に追った。青年サウロは、殺害に燃えて、大祭司にダマスコの諸会堂宛の手紙を書いてもらい、彼らをエルサレムに引いて来ようとしていた。

 

それが神のためだと信じていた。その途上で、突然天からの光を受けて、回心する事になる。一方、ダマスコに住んでいたアナニヤは、どんどん迫り来る危機に、必死に祈っていたろう。そんな時に「アナニヤよ」との御声を聞いた。どんなに心強かっただろう。励ましの言葉と思ったかも知れない。

 

しかしその御声は、非常に驚くべきものだった。キリスト者に殺意を抱き、痛めつけて来たサウロに会いに行けと。盲目状態にいる彼の開眼のために祈れと。アナニヤは余りの想定外の事に、理解できず、しかし彼は迫害者で・・と問うて行く。主は、彼は選びの器である事を告げ、行けと。

 

アナニヤはどうだったろう。多くの愛する同胞を殺害した相手だ。その相手を助け、祈れと言われる。だが、あのサウロが本当に回心したのか。それこそ自分も殺されるかも知れない。命がけであったろう。又。本当に主の御声なのか。聞き違いではないのか? 様々な思いがよぎったかも知れない。

 

しかし彼は普段から主との交わりに生き、従い続けて来た弟子であり、主の御声を知っていた。アナニヤは主を信じ、従った。主は彼を選ばれ、彼が従うと知っておられた。主が導かれたなら、主から力が与えられる。そして主が成し遂げられる。

 

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自分の今の感情や経験に捕らわれ、そこから一歩も動けずにいるより、先にある主のご計画を信じて御言葉に従っていこう。主が責任をもって導き必ず祝福してくださる。