「イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまで、マナを食べた」出エジプト16:35

主により苦難から救い出され、驚くべき奇跡により、エジプトを出たイスラエルの民。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ」と主を讃え、大きな喜びを謳歌し主に感謝した。そして荒野に出て3日間歩いた途端、「水が無い」との不平不満に変わった。

 

たった3日後だった。次には食物が無いと不満をモーセにぶつけた。エジプトで死んだ方がましだとまで言う。主は答え、天からマナを降らせ、夕にうずらの大群を降らせた。そしてこのマナは1日分だけと命じられた。従わずに翌朝まで残しておくと、虫がつき腐った。

 

命令通り朝ごとに各自食べる分だけ集めた。残ったものは、日が高くなると溶けた。主は「朝ごとに」「各自」「食べる分だけ」と定められた。これは信仰による従順の試しだ。どうだろう。1日分だけと言われても、密かに明日の分も、1週間先までも、集めるだけ集めておきたい・・もし翌朝降らなかったら?主を信じなかったら、そうしてしまう。

 

主は来る日も〃、荒野の40年間、毎日〃マナをもって養われた。これは自力でなく、主により生かされているという事実を、身をもって教え込もうとされた。「神が私を生かしておられる」「神により生かされている」これを心底知る時に、思い煩いから解放される。

 

私たちもこれまでの40年養い続けられたのではないか。主に信頼し、御声に従う訓練が、私たちにも来る。言われた通りに従って行く時に、信頼関係が深められて行く。

 

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民は、荒野の四十年間、一日も欠ける事なく毎日毎日マナにより養われた。必ず必要を満たして下さる。私たちも今までどんな時にも養われて来た。御言葉に従う時に、不思議が起きて、主のみわざを見る。その繰り返しの中で、信頼関係が深められ、強められて行く。