「するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け」使徒9:18

サウロは、殺害の意に燃えて、クリスチャンを迫害し捕らえていた。それが神の御心であり、正しい事だと信じきっていた。エルサレムだけでは気が済まず、ダマスコまで追いかけようとした。近くまで来た時に突然、天からの光が来て、彼は地に倒れた。そして主の御声を聞いた。「なぜ、わたしを迫害するのか」と。クリスチャン迫害は、神を迫害することだと。

 

倒れた地面から起き上がった時、目が見えなくなっていた。サウロにとって、何もかもが根底からくつがえされる、衝撃的な出来事だったろう。その後3日間、盲目の状態に置かれ、飲食もせず、真っ暗闇の中で、サウロは今までの事を考え、今、目の前に起きた事を考え、これから先を考え、祈りに祈った事だろう。

 

サウロは「地に倒れた」時に、主の御声を聞いた。主が倒されて、聞かせられた。私たちは全力疾走の時、周囲の事は見えないし、自分の事も見えない。行き詰まった時、失敗した時に立ち止まる。疾走する私たちにも、主は、立ち止まらせたいがために、挫折や失敗、行き詰まりを通される。そこには主のご計画があり、大きな祝福へとつながって行く。

 

又、今、行き詰まって暗黒状態なら、主は祈らせたい。立ち止まって自らを振り返り、現在の状況を見据え、先について、祈りに祈ろう。「そこで、彼は祈っています」サウロは真剣な祈りの中、アナニヤが遣わされ、再び見えるようにされた。「目からうろこのような物が落ち」、私たちも、暗黒を通過後、神がはっきりと、鮮明に見えるようにして下さる。

 

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思わぬ出来事により立ち止まるとき、その行く手をさえぎっているのは主だ。初めて主に出会った時もそうではなかっただろうか。そこで主に触れ、全く新しい人生が見えてきた。