「しかしイエスは言われた『ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います』」ルカ22:34

 ペテロは、主が今から十字架にかかられるという時に、主を否定してしまった。主を知らないと裏切ってしまったのだ。しかしそれは、サタンがふるいにかける事を、主が許されたゆえの事であった。そして、主はそのペテロの信仰がなくならないように、祈られていた。

 

試練のペテロの背後に主の祈りがあった。ペテロは以前に、他の者たちが皆、主を捨てても、自分だけは大丈夫と言い切った。どこまでも主について行くと。主はその心に潜むペテロの弱さをご存じであったが、ペテロは知らなかった。強く、自信に溢れていた。自分の力に頼っていた。だがその自信は粉々に砕け散った。

 

「信仰がなくならないように」主は祈られたが、信仰が無くならないとは、罪を犯し失敗するが、悔い改めに導かれるという事だ。ペテロは悔い改めて罪が赦された。私たちも必ず失敗する。失敗しない人は一人もいない。しかし、常に主は執り成していて下さる。だから罪を認めて、悔い改める事ができる。そしてその罪は赦される。

 

ペテロは砕かれ練られ、主の器として整えられて行った。私たちも今、試練の中にあるなら、砕き、練られ、整えられるためだ。もうだめだと思う失敗すら赦して、なおも益とされる。そして自分の力でなく、主に頼る者と造り変えられて行く。

 

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主と共にいる時は大丈夫、絶対にできると思うが、主から離れるとペテロのように現実が迫り恐れ退いてしまう。失敗の度に自らの無力を知らされる。主に頼れる恵みを知っていこう。