「ある人がイエスに言った。『私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます』」ルカ9:57

主に従おうとする人々が出て来る。一人目は「どこにでもついて行きます」と主に全面的に従います、何でもしますと言った。しかし、主は狐には穴、空の鳥には巣があるが、人の子には安心して住める家さえ無いと言われた。苦労があり多大の犠牲が伴う。喜びと同時に苦難もあり、覚悟と決心が必要だと。中途半端な気持ちなら、こんなはずではないとすぐにやめてしまう。

 

二人目は、「わたしについて来なさい」と主からの明確な示しがあるに関わらず、「まず父を葬りに」と父が亡くなった後にと言った。ぐずぐず優柔不断であり、従おうとは思うが、結局従う事の無期延期だ。それなら必ず従わないまま終わってしまう。御霊の示しに、言い訳や弁解をし、ずるずると引き延ばしをすると、結局従わないまま終わる。経験あるかもしれない。

 

三人目は、「あなたに従います」と、主に従うと決心していた。だが前進しようとしつつ、後ろを振り返る。捨てたつもりのものに未練があり、後ろ髪を引かれ、断ち切る事が出来ない。その未練は神の国にふさわしくないと言われたが、捨てるものへの執着が強くて断ち切れない。結局従えないまま終わってしまう。

 

主に従おうとする時には、必ずサタンが来る。従わせないように妨害する様々な誘惑、攻撃、かせがある。心の内からも、外の環境からも妨害がある事を踏まえ、祈ろう。必ず悪魔の妨害が来る事に心していよう。

 

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何度も経験する。サタンはとにかく主に従わせたくないので、力を尽くして妨害してくる。心を萎えさせたり、決して死なないとのエバへの誘惑のように、「しなくてもいいよ」と反対の事を平然と言って来る。御心に従えるよう、助けを求めて祈ろう。