「あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私のやみを照らされます」詩篇18:28

誰しも経験するが、素直に聞けない御言葉があるだろうか。何だか耳が痛いので、聞きたくない。目をそらせてしまう。その言葉には触れたくない。距離を置いておきたい。そんな時、心は嫌がるが、向き合うことが大切だ。その御言葉が「どうして嫌なのか」「なぜ聞きたくないのか」を考えてみよう。突き詰めてみよう。御霊が心を探って下さる。

 

その中には、自分ではわからない、決して気づけない問題があって、その御言葉こそが、大きな祝福の言葉で、私たちを成長へと導いてくれる。実は、うすうす問題に気づいているからこそ、聞きたくない。その問題には触れたくない。ふたをしたり、後回し、後回しにしていたい。しかし何かの問題を抱えていて、放っておくなら、更に根は深くなり、深刻になって行くばかりだ。

 

内側にあって、無くなるわけではないので、膿んで来る。主は、私たちのその暗い部分を、光に出し、取り扱い、真の平安に導きたいと願っておられる。愛なる主の御前に、心を打ち広げ、心を探って頂こう。何か握り締めていて、主に介入されたくない部分、自分でもうすうす気づいている部分を、主は取り扱い、導き、心の底からすっきりさせて下さる。

 

「神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す」とあり、光のもとに出る時、闇に光が射し、もはや闇でなくなる。何かもやもやがあるなら、まず主に祈ろう。

 

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繰り返し流してしまう、またかと読み飛ばしてしまう聖書箇所は、もしかしたら自分の問題箇所ではないか。弱さや闇に気づく事は感謝だ。主からの光を感じる。じっくりと向き合おう。