「ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちからいのちに至らせるかおりです」Ⅱコリント2:16

救われた私たちは、人々の救いのために福音を伝えて行く。また証しをして行く。私たちの言葉を通して、人々にキリストを伝えて行ける。そのために自分自身が、主に従う生活が何よりも大切だ。主に従う時に、単なる知識でなく自分自身が主を知り、通り良き管として用いられる。

 

人々は口先の言葉でなく、信仰者の実際を凝視している。それが自己中心でわがままなら、正反対の香りを放ってしまう。又、御霊に導かれて語った時も、ある人には命に至らせ、ある人には死に至らせるとある。太陽は一つだが、その同じ太陽が氷を溶かし、又、粘土を固くする。一つのものが全く正反対の結果をもたらす。 神の言葉は、受け入れる人々には永遠の命を与え、拒む人々には永遠の死という、極めて厳粛な結果をもたらす。

 

喜んで聞く人々もいれば、サタンの支配下であるこの世において、聞くのが嫌な人々も、拒否する人々もいるだろう。その事で恐れる事はない。「あの人といると、何だか安らぐ」「彼には元気がもらえる」「彼女には悪口 が無く、噂話が無い」「彼女の口からゴシップを聞く事がない」「落ち込んだ時に、彼と会うと何だか不思議に前に向ける」・・日々家庭で、学校で、職場で、どんな香りを放っているだろう。周囲に何かしらの影響を及ぼして行く。日々に、主を信じ、委ねて歩んで行く時、主が私たちを命に至るかおりとして下さる。

 

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主はどのように自分の中に生きて働かれているのか。証しして歩みたい。救われ、新たにされた者として主のかおり、息吹はもう吹き込まれている。委ねた喜びをもってこの世を歩みたい。