「主よ。その通りです。ただ、子犬でも食卓から落ちるパンくずはいただきます」マタイ15:27

異邦人の母親、娘が悪霊につかれていて、必死の思いで、主に助けを叫んだ。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい」。この全身の叫びに、求めに答えられる主は、応じて下さるのではと思う。だが何と主は「一言もお答えにならなかった」。沈黙されたままだ。無視された状態だが、彼女は諦めず、なおも叫び続けついて来た。弟子たちは、余りの様に、彼女を帰して欲しいと主に願った。

 

それに答えて「わたしは、イスラエルの羊以外のところには遣わされていない」と。すると彼女はそれを聞いて「ダビデの子」を抜いて、なおも、ひれ伏して求めた。カナン人はイスラエルではない。「ダビデの子よ」と言う権利は無い。彼女はへりくだって正しい位置に立った。

 

すると次に主は「子どものパンを子犬に投げてやるのはよくない」と言われた。何と冷淡なと思いそうだが、そうではない。主は、彼女が正しく求められるように、導いておられた。彼女は、主の前にへりくだった。「主よ。その通りです」と認めて「小犬でも食卓から落ちるパンくずはいただきます」と求めた。

 

主は必ずあわれんで下さると信じたからこそ、決して引き下がらず諦めなかった。小犬がもらえる恵みを願った。その時、娘は直った。そして主は彼女の立派な信仰に驚かれた。主のあわれみを、愛を、主の力を信じたからこそ、ひるまずに求める事が出来た。求めが自分の頑張りでなく、どこまでもへりくだる態度と、主への信頼であった。

 

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拒否されたかに見えても、その通りですと、どこまでもへりくだって、求め続けた。決して引き下がらず、諦めなかった。それは、主が必ずあわれんで下さると信じたからだ。信じなければ求めないし、途中でやめてしまう。これを立派な信仰と、主は感嘆された。