「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう」詩篇50:23

ジョニーという女性の証しがある。彼女は、水泳の飛び込みに失敗し、脊髄を傷めるが、何とか命だけは取りとめた。しかし一生身体は動かないとの宣告を受ける。その時に絶望のどん底に陥り、死を求めた。

 

「鏡に映る姿はとても人間ではない。窪んで落ち込んだ2つの眼球は、血走ってどんよりしていた。36キロの身体は、黄疸で黄色い皮膚に覆われた、がい骨だ。不気味に太った頭、歯も薬物治療のため黒い。とても生きて行けない」。ただただ絶望しかなかった。

 

しかし周囲の祈りの中で、少しずつ励まされて行く。時を経つつ「神がどう見ておられるかが大切。人がどう見るかは問題ではない。人でなく、神からの価値だけを考えよう」との励ましの言葉に、自分が神の似姿に造られた事に目が向いた。自分のこの身体、格好、能力、出来る事、出来ない事、自分で自分がどう見えたとしても、信仰に立とうと、その時に決心した。

 

そして「信仰により」自分のこの身体を神に感謝する事にした。するとパズルが埋まるように、すべてのものをふさわしい場所に置くよう助けられた。そして、より良く神に仕え、より幸せになれるように、神がこの身体を与えられたと、受け取れるように変えられた。奇跡だった。

 

この事が無ければ最後まで、神無しで、自己中心に生きていた人生であったろうと、神が特別に自分に関与して下さった事に感謝した。今、喜びがあり、幸せで、自分を他のものに変えたいと全く思わない。感謝する事は、今の状況に神を認める事だ。感謝する時、神が働かれ、心にみわざをされ、更に感謝に溢れる。

 

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主は、すべての事を感謝せよと言われる。ご計画があり、最善しかされない。万事益で、災いは無く、すべては将来と希望と平安のためのものだから。わかるが感情がついて行かない。だが感情は置いて、信仰により感謝して行く時、まず心が平安に変えられて行く。