「それから、彼に次のような主のことばがあった・・それで、彼は行って、主のことばのとおりにした」Ⅰ列王17:2

主はエリヤを一歩一歩と導かれた。まずアハブ王に雨が降らない事を告げるようにと。悪王であるアハブだ。王の気に入らない事を言えば、その場で打ち首にも。しかしエリヤは主の命令に従った。勇気が要った事だろう。すると次の一歩が示された。ケリテ川へ行けと。そこでカラスを用いて養うからと。アハブの攻撃から守り、かくまうためだった。

 

しかし貪欲なカラスが食べ物など運ぶはずがない。自分が食べてしまう。だがエリヤは信仰によってその示しに従った。すると主の言葉の通りに、カラスが運んで来る食物により養われた。その川の水を飲んだが、日照りで遂にケリテ川も枯れた。すると次の一歩が臨んだ。ツァレファテへ行けと。そこのやもめにより、養うとの示し。

 

その通りに従うと、やもめ共々、大きな主の奇跡を見る事になる。飢饉の中、やもめが手持ちのギリギリ最後の貴重な食物を、まずエリヤに献げた結果、飢饉の間中、豊かに養われた。主は一歩ずつ示される。「あなたの御言葉は、私の足のともしび、道の光」の通りだ。

 

暗闇の中で、先も見えずわからない。しかし主は目の前に御言葉を与えられる。だから足もとだけは見える。ともしびだ。サーチライトではない。一歩、歩を進める事の出来る御言葉を与えられる。それに従い一歩進むと、次へと展開し、次の一歩が明らかにされる。サーチライトを求めていないだろうか。今、必要な事は、目の前に示されている一歩を踏み出す事だ。

 

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ケリテ川に行く事、ツアレファテに行く事、目に見える所は不安材料しかない。だが主の言葉の通りにした時に、大きなみわざを見、主のご愛と真実を新たに知る。目の前の事も、見えたら従うのでなく、見えない中、御言葉に信頼し、従えるよう祈ろう。