「主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます」詩篇130:3

聖書には、信仰者の失敗がありのまま記されている。世の書なら、都合悪い部分は隠すところだ。しかし赤裸々に書かれている。アダムとエバは失敗して罪を選んで、神から隠れた。ノアは酔っ払って失敗し、アブラハムは妻を妹だと嘘をつき、又、神の時を待てずに奴隷ハガルにより、イシマエルを産み出してしまった。

 

イサクも父と同じく、妻リベカを妹と偽る。ヤコブは父と兄をだました。モーセは40歳の時に人を殺して逃亡した。又、出エジプトの後、荒野で怒りで岩を打つ罪を犯し、約束の地に入れなかった。アロンは金の子牛の偶像を作る罪を犯した。ダビデは姦淫に殺人の罪を重ね、ペテロも弟子たちも主を裏切って逃げてしまった。

 

主はそれらを失敗をことごとく悔い改めに導き、赦され、なおも不変の愛で、愛し続けられた。どんな失敗をしたとしても、決して見捨てられない。アブラハム、イサク、ヤコブは祝福され、モーセはイスラエルの民救出の大役を果たし、ダビデは詩篇を記し、ペテロは諸教会のリーダーとして活躍した。

 

失敗の時は、問題の原因を考えてみよう。自分のどの部分の弱さで、自分の何に触れているのか。プライドか、虚栄心か、貪欲か・・繰り返す事から守られる。いたずらに落胆せず、主の完全な赦しを受け取ろう。主はあわれんで下さる。何度も起き上がり、やり直すことができる。

 

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失敗する度に前を向けるのは罪を赦してくださる御父がいるからだ。悔い改め、赦しを受け取る時に大きな慰めを受ける。失敗はしても、その処し方だけは間違いたくない。