「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神」詩篇68:19

重荷を委ねたら良いのはわかるのだが、委ねる事ができない、どうしても出来ないとよく聞く。「委ねる」とは、石を転がすというような意味で、主の上に、あなたの重石である重荷を転がしてしまうことだ。石を転がすと、その転がした石はどうなるのか。それは主の上にあって、自分のもとにはもう無い。

 

そのように、主にきっぱりと手放してしまうことだ。すると思い煩いが消えてしまう。不安が失せて、平安が心に満ちる。経験した事があるだろうか。重荷が、心配事が、主の手に渡ってしまうからだ。ところが、委ねたつもりでも、自分が握っているなら、いつまでも不安は消えない。平安にならない。

 

委ねた「つもり」で、実は明け渡していない。自分が手を放すと、どうなってしまうのかと不安でたまらず、どうしても放す事ができない。つまり主を信じることができない。自分が手放すと、すべてがだめになってしまうように、崩壊してしまうように思える。だから放せない。問題が「不信仰」「信じる事ができない」ところにあるなら、その事を主に打ち明け、助けを求めよう。

 

自分の思い通りにしたいという時も、委ねられない。委ねると自分の思いが通らないからだ。委ねるとは、「イエス」でも「ノー」でも、どちらでもOKです、との態度だ。その事に執着しているなら委ねられない。御霊に心を探っていただいて、主の助けを求めよう。主は委ねさせて下さる。

 

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私たちの背後には常に共に戦ってくださる主がいる。主に問題を委ねられないのは何故か、ゆずれないものは何だろう。握ってるものを主に渡せるように祈ろう。