「それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ、ガラテヤの地方を通った」使徒16:6

信仰生活で、主の御心を知り、御霊に導かれて歩むためには、まず御言葉が大切だ。主は御言葉に反した導きをされる事は決して無い。御霊の導きと御言葉は合致している。御言葉と相反する導きは無い。御霊は御言葉を通して語りかけられる。人生の大切な局面では、御言葉が与えられるよう祈ろう。

 

又、御霊は環境、状況を通して示される。それは御霊の働きだ。パウロの一行がアジアで御言葉を語る事を禁じられた。彼らは切に祈ったであろう。ムシヤに面した所に来た時、ビテニヤの方へ行こうとしたが、それも禁じられた。そこでムシヤを通り、トロアスに下った。そこで幻を通してマケドニヤへ行く事が導きである事が確信できた。

 

あちこちと進路を止められる事により、残された、開かれている道へと進んだ。環境により、御霊が導かれる。私たちの状況をよく見ていよう。御心の進路は開かれるが、御心でないなら、道は閉ざされる。状況の閉じ開きにより、御霊の導きを知ることができる。自分の思いが強い時には、気づかぬまま、自分の主観に飲み込まれてしまう。

 

信頼できる導き手の助言を求める事は有益だ。一緒に祈ってもらうと良い。御心なら必ず御霊の一致があるからだ。又、「神が混乱の神ではなく、平和の神だからです」。御霊の導きには、混乱ではなく、必ず秩序がある。そしてそこに平安がある。御霊は私たちを御心へと導かれる。

 

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何かを決めようとする時、御霊はまず聖書を開くように導かれる。自分の思いを委ねられるよう祈り、御言葉と変わらぬ御霊の平安の中で状況を見ていこう。