「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで旅立たなかった」出エジプト40:36

イスラエルの民はエジプトを出て、荒野にある間、常に雲の柱、火の柱を見ていた。進む事にも、とどまる事にも、常に雲と火により明確な指示があった。「雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった」とあり、雲が上ると進み、主が止まられる所で、とどまった。私たちはどうだろう。停止が苦痛でたまらず、早くどんどん進みたいと思う。

 

しかし、主が止められる時は、主と共にとどまろう。そんな時こそが大切で、主は様々な事を教えて下さる。ある人が転勤で、家を売る事になった。すぐに売れると思っていた。しかし半年過ぎても売れず、信仰が試された。祈っているのだが、どうなってるのだろうと焦って来る。本当に売れるのだろうか。

 

不思議に何人も契約寸前まで行くのだが、成立しない。しかし、雲が動くまでひたすら待つ事を学ばされた。「待つ」ことの訓練であった。結果的に1年後に大変良い方の手に渡り、主を誉め讃え、心から感謝し喜びに満ちた。じっと待つ事がいかに難しいかを教えられた。しかし時が満ちるなら、必ず雲が動く。人がどうであれ、主権を持っておられる神が動かされる。それこそが神の時だ。

 

あれほど動かなかった物事が動き、前進して行く。そしてそれは最も美しい神の時だ。自分で動かずに、じっと待つ事が大切だ。あなたも今、「待て」との示しを受けているだろうか。自分で動きたい衝動、誘惑が来るが、主と共にとどまろう。雲が上る日が、旅立つ時だ。神の時だ。

 

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祈りながらも、あらゆる手を尽くして自分で何とかしようとしてしまう。動かない状況にぶつかるとき始めて主の訓練にきづく。動く時、待つ時をよく悟れるよう、目の前の一つ一つを明け渡していきたい。