「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」ヘブル4:7

イスラエルは、主が乳と蜜の地カナンに導くと約束して下さったのに、入る事が出来なかった。不信仰のゆえだった。導き入れるとの、主の言葉を聞きながら、信じる事なく、心を頑なにした。「もし御声を聞くならば・・心を頑なにしてはならない」のように、御声を聞くなら信仰もって、受け入れる必要がある。

 

語られた御言葉をないがしろにしてしまうなら、自分の心は固くなり、ますます頑なになって行ってしまう。私たちはどのように聞いているだろう。主が御言葉を語られた時も、聞く人の心の態度は様々であった。素直に受け入れる人、単なる好奇心だけの人、反発する人、傍観者として聞き流す人・・。

 

又、石地のように、喜んで聞くが、自我にぶつかると、自分の思いのほうを通して行くだろうか。そんな心が耕される必要がある。頑なな心が砕かれる時、素直にされる。砕きは祝福だ。御声を聞く時、主の言葉を、その通りにそのまま受け止め、信じて行く事が信仰だ。この世は、目に見えるもの、手でつかむ事のできるものを確かなものとする。

 

私たちは、目に見えないが、御言葉を真実なもの、確かなものとする。 そして、その語られた御言葉を行ってゆくことが大切だ。実行して行く時に、初めて御言葉が身につき、そして必ず豊かな実を結んで行く。私たちはどうだろう。ただ聞いて通り過ぎているだけだろうか。心して受け止め、今、目の前の御声に一歩従おう。

 

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御言葉は素晴らしいが、その御言葉の受け取り方が大切だ。受け取り方で、天と地ほどに違ってしまう。心が固いと聞いても、遮断してしまうので、聞かなかった事と同じになる。聞く態度を御霊に探って頂き、素直に聞けるよう祈ろう。豊かな実を結べるように。