「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい・・あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます」マタイ6:31

 主は、神の国とその義とをまず第一に求めよと。そうするなら、神の国と義も与えられ、それに加えて、生活の必要も与えられると。両方とも与えられる。これをよく逆にしてしまう。子供が菓子のおまけが欲しくて、菓子を買いあさり、おまけを集め、大喜びし、菓子など見向きもしなかったりする。

 

私たちはどうだろう。「それに加えて与えられるもの」の方を求めて、あがいていないだろうか。生活の必要のため、又、それ以上の、より裕福な生活のために、どうしても欲しいと追い求める。本末転倒で、与え主のことは目に留めない。又、名誉や地位、人からの賞賛も欲しくて懸命に求めるが、主ご自身を求める事は無い。

 

おまけが目的で菓子を買う子供だろうか。神の国は、神の支配のことであり、主のご愛による支配に心を向けて行くことだ。神の下さるものではなく、神ご自身に心を向けることが大切だ。その時に初めて、思い煩い、心配が解決して行く。「何を食べるか、飲むか、着るか、心配するのはやめよ」。

 

主を求めるのでなく「それに加えて与えられるもの」を、求めて行くなら、人生最後まで、思い煩いから解放される事がない。私たちはどうだろう。主を第一にして行く時、「あすの心配は無用」であり、その日〃の労苦により、達成感、充足感を与えられ、喜びを持って生きて行ける。

 

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しばしば逆になってしまう。添えて与えられるものを第一に求め、主を後回しにしてしまう。その時、平安は無く、絶えず思い煩いに悩まされ、支配される。今、優先順位はどうだろう。とにかく主を第一に据えて行く時、平安が戻り、他のものも与えられて行く。