「カレブが・・民を静めて言った『私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから』」民数記13:30

イスラエルの民が、エジプトでの苦役で、主に叫び求めた時に、主はモーセを遣わし、民を救い出された。主の偉大な奇跡によって、紅海が分けられ、出エジプトを果たした。民は、どんなに喜び踊ったことだろう。偉大な奇跡を目の当たりに見た。そしてモーセのもとで、民は、主が約束して下さった乳の蜜の流れる地、カナンを目指した。

 

カナン目前で、各部族から2人ずつ12人の斥候を遣わした。斥候はカナンの地を探った。戻った時に、ヨシュアとカレブは、「私たちは是非とも、上って行って占領しよう。必ずできるから」と主に拠り頼んで攻め上ろうと勝利宣言をした。しかし他の10人は「攻め上れない。敵は私たちより強く、私たちはいなごのようだ」と。

 

主に拠り頼むのではなく「自分の悟りに頼り」不信仰に陥った。不信仰は蔓延し、民たちも「荒野で死んだほうがましだ」と大声を上げて叫び、泣き明かした。「エジプトへ帰ろう」とまで言い出した。信仰人生で迷路に迷い込むのは、「自分の悟り」に頼るからだ。「主に拠り頼む」ことを忘れてしまう。自分の思いの方が正しいと思い、そう見えてしまう。

 

そんな時こそ、自分の悟りを捨てて、主の御心に従うなら、大きな祝福を見る。ペテロが、自分の悟りでは「ノー」だが、「・・でも、お言葉通りに網を下ろし」た時、大漁という破格の祝福にあずかった。今、目の前に選択すべき事があるなら、自分の悟りを捨てて、御言葉に拠り頼み、従おう。

 

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見たところがどうであっても、御言葉の道に祝福と平安がある。ころころ変わる人の言葉と自分の悟りによって生きるか、御言葉によって生きるか、大事な選択を間違わないでいよう。