「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる」詩篇55:17

詩編でダビデは、親友から裏切られ、胸も張り裂けんばかりに苦しんでいる。苦しみも悲しみも喜びも共にして来た、信頼する同輩である、その親友が自分を攻撃して来る。それも最も恐ろしい敵となって立ち向かって来る。いかばかりの苦しみ、つらさ、恐怖だろう。

 

「私の心は、内にもだえ、死の恐怖が、私を襲っている。恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包んだ」とあるがままの、恐れ、おびえた心の状態をそのまま告げている。荒野へ逃げたいと、その荒野こそが私の逃れ場と。自分で動かず、自分で何とかしようとせずに、まず祈りにもって行き、主にあるがままの心をことごとく吐き出し、告げる事が大切だ。

 

その祈りに主は答えて下さる。私たちも、不安、恐れ、煩悶、思い煩い、すべてをありのまま、主の前に吐き出す事が、どうしても必要だ。主はそれらを受け止めて下さる。

 

「私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださった」ダビデは、主に受け止められ、救われた。神に呼ばわることが大切だ。「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく」、ことごとく吐き出す時に「主は私の声を聞いてくださる」 祈りが聞かれているという、心奧深くに確信を得た。主の救いを経験し、はっきり主との交わりを得たダビデは「重荷を主にゆだねよ。主は心配していて下さるから」と確信持って言えた。ダビデのように「私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています」と、あるがままの気持を、主に告げて行こう。受け止めて下さったとの確信が与えられる。

 

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祈りのうちに主と交わる時、外界の攻撃は遮断され、心は無風状態になる。主の安全な隠れ家に入れる。夕、朝、真昼、恐れや不安の度に主のもとに逃れよう。