「種を蒔く人が種蒔きに出かけた・・良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい」マタイ13:3

種はみ言葉、土地は私たちの心だ。4つの地に御言葉は蒔かれたが、結果がそれぞれ全く違った。結実する人生は、どのように御言葉を受けとめるか、私たちの心にかかっている。道ばたの心は、御言葉が心に入っていない。偏見や自分の思いが強く御言葉をはじいてしまう。心に入らないので、芽の出ようがない。

 

薄い岩地の心は、一旦芽を出すが、自我が強く、頑なで自我の岩にぶちあたり根が張れない。自分に都合の良い範囲の信仰で、犠牲を払ってまで、自分を変えてまで従う気はない。いばらの心は、御言葉が入り、芽を出し伸びようとするが、同時にいばらも伸びて、芽をふさぎ、邪魔をする。

 

いばらは、世の心づかいと富の惑わしで、それらが芽をおおいふさいでしまう。人からどう見られるか、人から良く見られたい思いが根深く、又、金持ちになりたい誘惑は非常に強く、信仰を枯らしてしまう。良い地は、砕かれた心だ。強い自分の思いを捨て、御言葉を聞き従おうとする。自分の思いを遂げるのでなく、御言葉により自分が変えられようとする。 自分を砕いてでも、従って行こうとする。

 

その時、100倍の実を結ぶと。素晴らしい祝福にあずかる。どんな態度で御言葉を聞いているだろう。御言葉の種が、心に根を下ろさない限り、結実は不可能だ。今、心に語られている御言葉に、聞き従おう。一歩、前に進んで行ける。

 

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御言葉にはいのちがあるから人生を大きく変える。御言葉の種がある限り、いつでも新鮮な芽が出て成長できる。確かに見ているが、決して悟らない者にならず、御言葉を大切に受けとめ従おう。