「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやって・・娘が直って、助かるようにしてください」マルコ5:23

ヤイロの娘が危篤であった。一刻を争う状況の中、ヤイロは30キロほどの道のりを急ぎやって来た。主の足もとにひれ伏して、来て娘を癒やして欲しいと懇願した。主は願いを聞かれ、出向こうとされると、突然長血の女性が割って入った。12年間長血を患い、心身の非常な苦しみの上、財産も使い果たし、絶望状態の中にいた。

 

彼女が主の着物のふさに触ると一瞬にして出血が止まった。奇跡が起きた。長血は汚れていて触る事も禁じられ、人前に出る事もできない。彼女は密かにそのまま去りたかった。しかし主は彼女を取り扱い、「安心して行きなさい」と救いを与え、身体だけでなく心の癒やしも与えられた。

 

しかしその間、ヤイロはどんなに心急いたことだろう。一刻を争う状況だ。女性は12年間の持病、瀕死の娘の方が、先ではないのか。そこに決定的知らせが入った。娘は亡くなったと。病気やけがなら治る。金銭問題なら何とかなり、人間関係ならまだ修復できる。しかし「死」は、何もかもを決定的に断ち切ってしまう、絶望的状況だ。回復も修復も不可能だ。

 

しかしその現実を前に、主は「恐れないで、ただ信じていなさい。娘は直る」と語られた。信じ委ねよと。その言葉の通りに、娘は生き返らされた。私たちにも心痛む心配事、思い煩いが次々と襲いかかる。しかし死をも打ち破る力ある主が「恐れないで、ただ信じなさい」と言われる。「あなたがたは心を騒がしてはならない。神を信じ、またわたしを信じなさい」と。

 

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「恐れないで、ただ信じていなさい」何と力強い言葉だろう。ヤイロは、ただただ御言葉にすがりついただろう。今、目の前に様々な問題、苦境があっても「恐れるな、信じていなさい」。主が最善をして下さる。お委ねしていよう。