「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」マタイ5:9

「平和をつくる者は幸い」だが、平和をつくる人となるためには、自分自身の中に、まず平和がつくられていなければならない。自分の内側が混乱していたり、思い煩いと不安でいっぱいだったり、悩みで悶々状態であるなら、周囲に平和をつくり出すことなど、とてもじゃないができない。そのためにまず大切なことが、神と自分との平和だ。

 

神との個人的関係において、妨げを取り除くことが必要だ。罪が示されているなら悔い改めよう。心にずっとひっかかっていて、示されているが、なおざりにしている御心を行おう。実行する事が大切だ。誰かに謝罪が必要なら、和解しよう。神から離れていたら、今すぐ立ち返ろう。神は両手を開いて、待っていて下さる。

 

放蕩息子が、父親のもとへ帰った時に、責めも、さばきもされず、ありのまま受け入れられたように、どうであれ、神のもとへ帰ることを喜ばれる。まず、自分と神との縦の関係が、妨げなく平安であるように、なすべき事をして行く時、平和の子として、横の関係である周囲に平和をもたらすために、用いられて行く。

 

自己中心の罪の世界にあって、平和は自然に、オートマチックにできるものではなく、「つくる」ものだと言っている。「敵を愛せよ」とあり、それは愛することだと言っている。愛するとは感情でなく、意志であり、決意だ。「迫害する者のために祈れ」とあり、感情は横において、その通りに意志をもって祈って行くことだ。できない自分を認め、しかし意志を向けて従おうとする時、御霊の助けが臨む。そして用いられて行く。

 

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神に赦され愛されていることを日々に感謝し、その恵みのゆえに隣人を愛していくという健やかな歩みでありたい。心に平安がない時にはまず祈り、自分の心を整えていただこう。