「『青年よ。あなたに言う。起きなさい』と言われた。すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された」ルカ7:15

やもめである母親の一人息子が、死んでかつぎ出されるところに、主は遭遇された。やもめの上に、たった一人の息子を失うとは、母親は、どん底の悲しみ、絶望であったろう。病気やけがなら治るが、死だけは何もかもを容赦なく断ち切ってしまう。後戻りも回復も不可能だ。何もかもが打ち砕かれてしまった状況だ。

 

当時のやもめは、社会的に厳しい状況にあり、唯一頼りであった息子、そして生き甲斐であった息子を失うとは。はらわた裂かれる思いだったろう。生きる望み、支えが無くなってしまった。泣き続けていた。そこに、主が「泣かなくてもよい」と御声をかけられた。「かわいそうに思い」「深い同情をよせられ」「憐れまれ」とあり、強烈な同情だ。

 

腹の底からの憐れみが湧き出で、溢れ出て、主は青年を癒やされた。母親から頼まれてではなく、一方的に主の溢れ出る憐れみによってであった。「青年よ。起きなさい」の言葉で、青年は生き返った。主は口先でなく、「深い同情」と共に「力」を持っておられる。「泣かなくてもよい」はその通りに実現し成就した。

 

同じ主が、今、悲しみのどん底に、絶望にある私たちに、腹の底からの同情を寄せていて下さる。そして、主の御口から出る言葉は、私たちの心に奇跡を起こし、揺るぎない「平安」をもたらす。「彼を母親に返された」、取り返し不能、完全に失ってしまった状況に、決定的解決を与えられた。この同じ主が、今、あなたの目の前におられる。

 

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この先どうなるのだろうとの不安と恐れを主はいつも共にいて、深い同情を持って見てくださっている。主の守りの中にいることを覚えるとき不安が消えて何の心配もないと慰められ励まされる。