「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください」詩篇141:3

ある人がサークルに入った。活動して行く中で、一人の人に理不尽な態度を取られる。良く思われていないようだ。こちらとしては挨拶するのだが、返してもらえない。だが相手がどうであれ、挨拶し続けた。自分が新しく入った事で、彼女の持ち場に変更が生じた。それが気に入らないようだった。何の応答も無いが、礼儀をもって接し続けた。

 

それも祈っていたから出来たことであった。そんな中、自分の挨拶は無視で、自分を越えて、自分の隣にいた人に、これ見よがしに話し始めた。さすがにひどい態度に、肉の感情が爆発。怒りで、一言言おうと、口まで言葉が出かかる。一瞬、自我だと気づき、「神様!」と叫んだ。「守って下さい!」主に拠りすがった。

 

すると何と自分の口から、思ってもない言葉が自然に出た。「ごめんなさいね。私が入ったばかりに、あなたの持ち場が変わってしまって」。自分で驚いた。自分ではなく、御霊によることであった。そして活動内容に関して「あなたがとても上手なので、リードされて、私は助けられている」とこれは事実だったので感謝を伝えた。

 

相手は非常に恐縮し、まさに良心のかしゃくを感じて、動揺しているようだった。その後は和やかな関係になった。言葉は出してしまうと、取り返しがつかない。自我による取り返しのつかない言葉を発しそうな時は、瞬間、主に叫ぼう。主はくちびるを守って下さる。

 

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一端発してしまった言葉は、取り返しがつかない。長年の信頼関係も一瞬にして壊れてしまう。舌はじっとしていない悪とある。出すべきか迷う言葉は、出さずにまず祈った方が良い。舌が御霊に支配され、励ましや慰め、建て上げの言葉が発せるよう常に祈っていよう。