「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる」詩篇145:18

ある人が、自分は肉の思いが来た時に、例えば、妬み、憎しみ、腹立ち、さばく思い・・そんな時、クリスチャンなのにこんな思いを持ってはよくない、こんな事を思うなんて自分は何と罪深い、思ってはいけないと、その思いを否定し、心に抑え込んでいた。そして心に抑え込んで、表に出さないのだから、むしろ良い人間だと思っていた。

 

しかし、その抑え込んだ思いは、無くなるわけでなく、そこに蓄積されて行く。容量オーバーになると爆発していた。そしてずっと自分は、なかなか変わらないと思っていた。しかし抑え込むのでなく、主のもとへ持って行くことだと教えられた。自分で何とかしようとするのでなく、一つ一つ祈って行くのだと。

 

「妬んでいます」「怒っています」「こんな思いを持っています」主に告げて行く。苦しい思いをそのまま祈ると、すうっ~と思いが消えたり、悔い改めに導かれたり、様々主が導かれることを経験して行った。何より良くない思いを自分で抑え込むでなく、主に告げて祈って行く時、心が平安にされることを知った。

 

「絶えず祈りなさい」、生活の中で、しょっ中、主に語りかけ、主が近く感じられるようになった。日々真に共におられることが、頭でなく、肌でわかるようにされた。自分が変えられていることがわかった。 突発の事態であれ、心の思いであれ、又、悩み、問題を、自分で何とかしようとせずに、まず主に持って行こう。ことごとく主に告げよう。主が働かれ、導かれて行くことを経験して行く。「主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう」

 

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自分で処理しようとせずに、主のもとへ持って行こう。気持ちも思いも、主のもとへ持って行き、主と交わろう。主にことごとく聞いて頂く時に、心が落ち着いて来る。心が変えられ、冷静になり、信仰的に建設的に発想して行ける。主との交わりには大きな力がある。