「私が、主に呼ばわると、主は私を救ってくださる」詩篇54:16

ダビデは非常に苦しい状況にあった。「私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています」心はもだえ、死の恐怖に襲われていると言っている。この状況から逃げたいが、逃げられず窮地であった。迫害も厳しいが、更にダビデを苦しめたのは、同輩や親友の自分への裏切りだった。

 

「私をそしる者が敵ではない、それなら忍べた、そうではなく、私の同輩、私の友、私の親友のお前が」。深く信頼を寄せていた相手に裏切られるのは、非常につらい事だ。その時、ダビデは自分の気持ちを、主にそのまま言い表している。私たちも、苦しみの中で、ただ嘆くのでなく、又、自己憐憫に陥るのでなく、御前に気持ちを率直に言い表して行こう。

 

「恐れ、おののき、戦慄が私を包んだ」状況で、ダビデは、逃げ出したい思いも、ありのまま告げている。「鳩のように翼があったら・・のがれ場に急ぎたい」と。試練は逃げてはならず、受け止める事が肝心なのでは? しかし率直に自分の気持ちを言ってよい。率直に認めて、言うからこそ次の段階へと導かれる。

 

死の恐怖、孤独感、心裂かれる痛み、それらを認めた時、ダビデは上を見上げる事ができた。そして「主にゆだねる」というところへ導かれて行った。問題を主に明け渡し委ねる時に、事態が導かれて行く。悶々として、苦しむのは委ねられない時だ。悶々状態で、且つ、主も見えなくなってしまう。明け渡せるように、助けを求めよう。その祈りに答えて下さる。

 

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気持ちや思いを、自分の内に抑え込むのではなく、ことごとく主に告げて行こう。自分で悶々としているのでなく、主のもとへ祈りに持って行く時に、次の展開があり、前に進んで行ける。今、必要な事は主に呼ばわる事だろうか。