「シムイはのろってこう言った『出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者』」Ⅱサムエル16:7

  ダビデはこの時、心が引き裂かれるようなつらい状況にあった。実子アブシャロムに歯向かわれ、攻撃を受ける。そのダビデは息子と戦わないで、ただただ逃げ回る。愛する実子の謀反にどんなにつらく心痛んだ事だろう。又、信頼しきっていた側近のアフィトフェルの裏切りにも会う。彼はダビデからアブシャロムに寝返る。

 

心はずたずたに裂かれて、涙と心痛の中、シムイという男にそしられる。彼は盛んに呪いの言葉を吐いた。「出て行け。血まみれの男。よこしまな者」と。部下が「首を跳ねさせて下さい」と進言したほどだ。しかし、ダビデは「彼にのろわせよ。主が、彼に命じられたのだから。主が彼の呪いに代えて幸せを報いて下さる」と。

 

ウリヤ殺害の罪が思われただろう。しかしダビデは、信仰によりすべてを主に委ねていた。だから受け止めることができた。幸せも主から来ると信じる事ができた。ダビデは、なぜこんなに落ち着いて対応できたのだろう。私たちは、人からの攻撃的な言葉、傷つく言葉を聞くと、不安、恐れ、思い煩い、怒りでいっぱいになる。

 

何を受け入れるか、拒否するかは自分次第で、選択だ。同じ言葉を聞いて、心乱れる人も、穏やかでおれる人もいる。どこに視点を置いているかが重要だ。ダビデは主だけを見ていた。一心に主を見ていたので、状況は問題ではなかった。状況に飲み込まれると、主が飛んで見えなくなってしまう。今、目の前の問題でなく、目を主に向けよう。

 

・・・・・・・・・・・落ち込む時、思い煩いでいっぱいになる時は、必ず状況や自分を見ている。主を見ていない。主を見上げ、主に頼る時に、御心の対応が与えられる。主に向くと、主がどなたで、どのようなお方かを思い出し、信仰の目を持って、状況を改めて見直せる。