「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」イザヤ40:8

対人関係で問題が起きて、心が暗くつらくなる事があるだろうか。人から批判されたり、攻撃されたりすると、トゲのある言葉が心に刺さる。又、人からのちょっとした言葉が、ひどく気になり、不安になり、落ち込んでしまう。心を探ってみて、もし自分の側に、非があれば、悔い改めることと相手に謝ることが必要だ。しかし幾ら考えても、自分に落ち度が無いなら、理不尽な言葉なら、人の言葉でなく、御言葉に目を向けて行こう。

 

心暗くなり、落ち込むのは、自分の中で人の言葉が第一になって、重きを置いているからではないか。その根には、人に良く思われたいし、好かれたい、嫌われたくない思いがある。人からの評価が欲しい。しかし神の言葉と人の言葉と、どちらが大切なのだろう。御言葉が飛んで、人の言葉に振り回されていた事に気づく時、平安が戻る。御言葉を受け取り、御言葉を握っていよう。

 

御言葉によって、人からの批判や状況を見る時に、神視点で人の言葉や状況を見ることができる。心に平安が無いなら、心がつらく苦しいなら、神の言葉でなく、人の言葉のほうを受け入れている。「すべての人は草」だと言っている。人の言葉は草のようだと。草は枯れてしまう。

 

草は枯れ、花はしぼんでしまう。だが、私たちの神のことばは永遠に立つと。今、心がつらく、平安が無いなら、自分の言葉や人の言葉に振り回されていないだろうか。御言葉に目を向けよう。御言葉から平安が臨む。我に返れて、御心へと導かれる。

 

・・・・・・・・・・・・人からの、愛のある信仰的、建設的な忠告や助言はどんなに痛くても聞く事が大切だ。しかし人からの、根拠の無い理不尽な言葉や、悪意ある言葉は聞き流そう。聞くべき言葉と聞き流す言葉がある。そして何よりも神の言葉に聞いて行こう。