「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」詩篇119:105

ある人が、上司から無理な多大な要求をされ、心身共に参っていた。暴言は日常茶飯事で、心に刺さり、神経的にも参っていた。まさにパワハラであった。皆の前で責められるも、納得行かず、理不尽に思えた。赦せない思いが募り、その思いは上司に対する憎しみと増幅して行った。しかし赦せない思いは、自分が苦しい。つらくてたまらない。胸が苦しく、重くて、悶々状態だ。

 

心に重い鉛を抱えているようだ。他の事を考えていたり、目の前の事に忙しく追われている時は、紛れているが、空いた時間には、ふっとよみがえり、心に深い影を落とす。楽しい時も心重くなり、目の前の事を楽しめない。牢獄に囚われの身のようだった。

 

追いやられるように、主の御前に行き、何もかも心のありのままを打ち明けた。苦しくてたまらない事、赦せない事、憎んでいる事、しかし自由になりたい事、平安が欲しい事・・葛藤があったが、このままではいたくない。その時、御言葉から示された。「わたしのとりでに頼りたければ、わたしと和を結ぶがよい」と。

 

これは相手の問題でなく、裁く心、憎しみは、主と自分の間をしゃ断してしまう事、主との関係にひびが入っている事を示された。相手がどうのでなく、まず主との個人的関係を正しくする事が大事だと示された。主との関係は何があっても正しくありたい。その一心で、悔い改め、赦すことを決意した。「赦します。助けて下さい」と主に意志を向けた。すると、不思議に心が落ち着いて行った。

 

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赦せない思いや憎しみは、闇の中にいることになる。見えなくなってしまう。どんな中でも祈ろう。祈りに答えて、主は御霊の光を与えて下さる。御言葉から光が来ると、光があるので自分の姿が見える。見えると悔い改めることが出来る。まず主を求めて祈ろう。