「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」詩篇45:10

ある人に突然、家族に関わる事で、大きな問題が起きた。大変な事になり、パニックだ。いつも学んでいるように、まず祈るのだが、祈っている最中も、祈りどころでなく、「どうしよう、どうしよう、どうすれば良いのか」と頭はぐるぐる巡り、方策を懸命に考えている。これは祈りではない。あれこれと考えを巡らすばかりだ。自分が、自分がと立ってしまっている。

 

そのため平安など全く無く、不安で不安でたまらない。段々と「こうなったら、どうしよう」と最悪の結末のシナリオまで浮かんで来る。ますます不安は募り、思い煩いでいっぱいだ。恐れと不安の数日が過ぎ、余りにも苦しくてたまらず、主に叫んだ。

 

その時、「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」と語られた。そして自分は「いや、私たちは馬に乗って逃げよう」と言っている者だと。自分で心騒がせるばかりで、自分で何とかしようとしている姿を見せられた。そのため全部が自分の肩にかかるので、焦り、恐れ、不安しかない。

 

「やめよ」「静まれ」「わたしが神だ」「わたしに信頼せよ」と言っておられる。問題に飲み込まれ、問題しか見えておらず、神が見えていなかった。祈りは口先で、自分が動き回っていた。今度は祈りにおいて、主に問題を持って行くようにされた。不安しか無かった心に、初めて安堵が与えられた。

 

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突如の問題が起きた時は、まず対処法が頭を駆け巡る。ああして、こうして~と。そして心が重くなる。主が飛んで、全部自分の肩にかかるので、思い煩いと不安でいっぱいだ。まず主を呼ぼう。主のもとへ持って行こう。そして委ねて、示された事に従おう。