「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」Ⅱ歴代16:9

主は、御力をあらわして下さるとある。あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々にと。ここで落胆してしまわないだろうか。とても主と全く一つになどなっていない・・。罪ばかり犯し、肉に歩んでしまうし、そんな事は不可能に思える・・。

 

だが、主と一つになるとは、自分の思い、自分の願い、自分の計画を、祈りの中で、軌道修正されつつ、主のお心に合わせて行く事だ。自分の思いでいっぱいだったのを、自分の方が変えられて、主のみ思いに沿わせて行く、その時、主の御心を行う者とされる。

 

そして又、ダビデを通して教えられる。ダビデは主より「彼はわたしの心にかなった者」と言われた。主と一つだ。しかしダビデはどうだろう。バテシバとの姦淫、その罪を隠ぺいするために、その夫のウリヤ殺害という更なる罪を犯してしまった。そんなダビデだが、ナタンを通して罪を示された時に、罪を認めて、悔い改めた。

 

王であるダビデが悔い改めた事は、主の御前でのへりくだりだった。主と一つであるという事は、決して罪を犯さず、完璧に信仰生活を送るという事ではない。そんな事は誰も出来ない。弱さゆえに、どうしても罪を犯してしまうが、その罪を認めて、悔い改める時に、主と一つだと言われる。御霊は罪を示して下さる。それは大きな恵みだ。赦されるためだ。悔い改めて、悔い改めて歩もう。

 

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新しく生まれた後も、肉の性質があり、弱さがあり、どうしても罪を犯してしまう。しかし私たちは悔い改めることができる。何という恵みだろう。悔い改めて悔い改めて、赦されて赦されて生きて行ける。そしてその度に、主の愛がいかに深いかを知って行ける。