「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」伝道3:1

ヤコブは、父とエサウを騙して、兄は激怒。身の危険に、逃げるように遠方の伯父ラバンのもとへ。そこで20年の歳月、神の御手により苦しく厳しい訓練を受けた。ラケルをめとるために7年の労働を課せられ、成し遂げた時に与えられたのは、姉のレアだった。ラケルをめとるためには、もう7年の労働を要求された。伯父に騙されたのだ。

 

父と兄を騙したヤコブは、伯父に騙された。苦しい刈り取りであった。結果14年の厳しい労働の末、ラケルをめとる事ができた。ラバンに無料労働を提供したようなものだった。そして滞在の20年間は、暑さ寒さの中で苦しくつらい労働の日々であった。決して甘くはなかった。厳しいものであった。この20年は、主の御手による取り扱いであった。砕きと訓練の連続であった。

 

それは伯父ラバンでなく、主によるものだった。狡猾で自我の強いヤコブを砕き、練り、整え、器とされるためであった。主の定めた20年を、誰も変える事ができない。ヤコブも自分で縮める事は出来ない。又、延ばす事も出来ない。訓練し整える期間は、主が一日も違わず定められている。そして期間が終了し、時が満ちたなら、ラバンも止める事が出来ない。

 

主が「あなたをこの地に連れ戻す」と言われた通りに成就する。私たちも様々な事が身に起きる。主の取り扱いだ。偶然でなく、不運でなく、サタンにほんろうされているのでない。ヨセフと同じく「私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです」「実に、神」であり、神によることだと。

 

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ヤコブが20年後に帰郷を果たす。時は定められていた。主はヤコブを砕き、練り、整えられて、主の時が満ちた。私たちにも、時が決められている。長くも短くもないピッタリの最善の時だ。主が時を定めておられるので、信じ委ねて、安んじていよう。