「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え・・」イザヤ40:28

背景はバビロン捕囚で、イスラエルの民は国を追われ、バビロンに囚われていた。異国の地で苦難の中にいた。自分たちの道は神に隠れ、自分たちの訴えは、神に見過ごしにされていると不満に思っていた。本当に自分たちの事を思ってくれているのかと。しかし主は永遠の神、地の果てまで創造された方、疲れる事もたゆむ事も無い。疲れた者に力を与え、精力の無い者に活気をつけると。

 

私たちも、時に目の前の問題に落胆してしまう。その時には、神がどのようなお方かが飛んでしまっている。落ち込んで、下に向いている目を、上に上げる必要がある。そして、主を待ち望む者は新しく力を得る。鷲のように翼をかって、大空にかけ上ることができる。

 

「主を待ち望む者は」新しい力に満たされる。疲れた者は来なさいと、弱いままで良い、そのままで来よと言われる、主のもとへ絶えず行こう。鷲は自力で舞い上がるのでなく、常にじっと上昇気流を待っている。風の音をじっと待って、聞き分けて、風が吹いた時に崖から飛び降りて、翼を広げ、上昇気流に乗って大空高く舞い上がる。

 

私たちも自力で生きるのではなく、御声に、導きにじっと耳を澄まし、導きが来たら動いて行こう。風は必ず吹くように、導きは必ず来る。主の導きは、心に平安が与えられ、門が開かれて行く。疲れた者に新しい力を、精力の無い者に活気をつけて下さる。

 

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鷲がじっと待って上昇気流が来たら、それに乗るのが印象的だ。私たちも御霊の導きをじっと待って、御霊の動きが来たら、それに乗せられて、運ばれて御心を歩んで行ける。御霊の働きであって、自分の力ではない。アンテナを張って、導きをじっと待とう。