「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない」イザヤ43:2

ある人が、夫婦で親の介護をしていた。事情があり、又、以前からの本人の強い願いでもあり、自宅介護とし、最後まで家で看取る事になった。そんな中、認知症が出てきて、段々と非常に厳しい日々となった。その内、家族も認識できなくなり、実際、介護は心身共に大変で重労働で、激しく消耗する毎日で、決して甘いものではなかった。

 

自営業で時間の融通は効くものの、仕事もあり、極めてきつく困難で、ハードな日々であった。朝毎に主に助けを求めて、すがりついて、夫婦で心合わせて必死に祈った。祈らなければ一日たりともおれず、祈らざるを得ない日々であった。主に拠りすがり、明日の心配は無用の通り、明日は委ねて、介護に関して今日一日の事だけを考えた。

 

明日の分までは負えないが、今日一日の荷は必ず負えると主を信じ、一日一日を感謝と祈りで重ねて行った。その結果、介護を全うする事ができ、親を看取る事が出来た。自分たちの力でなく、祈りにより信仰により、成し遂げる事の出来た経験は、信仰人生にとって大きな祝福とされた。

 

達成感、平安、充足感の上に、夫婦間が祝福され、絆が強められ深められ、そして夫婦の信仰の成長の時とされた。困難で厳しい日々は、まさに水の中、火の中を通った感覚だった。「わたしはあなたとともにおり」と、共におられる主を実感をもって知った日々であった。それを味わい知らされた。又、夫婦で味わえた事も祝福だった。これら、主の取り扱いであった事に感謝が溢れた。

 

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信仰人生で、特に厳しい苦しみ、つらさの中を通る事がある。まさに水の中、火の中だ。その中で、主の「わたしはあなたとともにおり」が救いだ。押し流されず、燃えつかない。荒野の試練でも「着物はすり切れず、足は、はれなかった」どんな試練の中も必ず守られる。